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『「無知」の技法 Not Knowing 不確実な世界を生き抜くための思考変革』
   
翻訳家 上原裕美子   
 この本の原題はNot Knowing: The Art of Turning Uncertainty into Possibilityといいます。ものごとを「知っている」ことにしがみつかず、「知らない」ということに自由と可能性を見出そう、と提唱する1冊です。Not Knowingというのが大切なキーワードで、タイトルは『「無知」の技法』となりましたが、本文ではそのまま「知らない」という訳を太字で表現しました。

 実は、この「知らない」という訳語が難産でした。Not Knowingは臨床心理学の用語でもあるのですが、この本においては著者たちが独自の意味をこめて、頭文字を大文字にして表現しています。意味は、未知を恐れず向き合う動作のこと。それを一体どうやって日本語にすればいいでしょうか。テーマを語るキーワードですから、ちょっとカッコいい言葉にしたいという、訳者の勝手な色気もありました。著者たちがNot Knowingを名詞扱いで使っているので、訳も名詞にしたいという、これまた訳者の勝手な都合もありました。あれこれ考えて、本文に出て来る定義を汲み、Not Knowingに「無知の境地で未知に対峙すること」という訳語をあてました。

 とはいえ、今ひとつしっくり来ません。訳しあげてからも悩み続けていたのですが、ふと、本書の後半に出てくる言葉が目にとまりました。スティーブ・ジョブズの例の有名な台詞、”Stay hungry, stay foolish”です。

 このfoolishは、もちろん、テストの点が悪いとか、低学歴とか、そういう意味ではありません。「理屈で頭をがちがちにするな、知識がすべてだと思って自由な発想を閉じ込めるな」という感じでしょうか。

 でも、それを翻訳でくどくど説明してしまったら……foolishという言葉に長ったらしい訳語をあててしまったら……そんなことをしたら、この言葉の印象はだいぶ変わってきます。ここはstay foolishというシンプルな言葉で言ったからこそ、意味があるのです。言っている内容と言い方が一致しています(理屈で自分を飾るな、という内容を、飾らない言い方で言う)。言語学的にはシニフィエとシニフィアンが一致していると言ってもいいかもしれません。ついでに言えば、発言した人物とも、その人が生み出すプロダクトとも一致しています。そして、このスピーチを聞いた・読んだ人自身が、自分の頭で考えて理解するからこそ、このメッセージに意味があるわけです。

 それなのに訳者がfoolishの意味を補ってしまったら、ジョブズのイメージを壊すだけでなく、読み手の思考の流れに強引に割り込むことになってしまいます。だから、このジョブズの台詞は「ハングリーであれ。おろかであれ」でいいわけです。もしくは、これに類する簡潔な表現が好ましいと思われます。

 さらにもう1つ、『「無知」の技法』の後半で、似たような訳しにくい言葉が出てきました。グラミン銀行を設立しノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスのスピーチです。「銀行について何も知識がなかったから、画期的な銀行を作れた」というユヌスは、若き起業家へのアドバイスとして、”stupid people like us do something”と語っています。

 このstupidも、知能指数や学歴の話ではありません。謙遜や自虐とも少し違います。一言では言い表せない意味が込められていると感じましたが、だからといって、一言よりも多い言葉を尽くしてstupidを説明する必要はありません。むしろ、それはやってはいけないことだと思うのです。そういうわけで、ユヌスの言葉を、そのままこう訳しました。
「私たちのような愚直な人間が何かをなし、動かしていくのです」

 ……こんなふうに考えてみて、ハタと、例のNot Knowingの訳に思考が戻ってきました。この単純な2語の言葉に、境地だの対峙だの、そんな仰々しい言葉をあててはいけない。そう思いました(念のため付け加えますが、「この文脈では、あててはいけない」という考えです。重々しい言葉がすべからく悪いなどとは思いません)。

 そういうわけで、Not Knowingは「知らない」になりました。キャッチーなキーワードではありません。名詞でもありません。扱いづらい訳語でした。

 訳が正しかったか、ふさわしかったのか、翻訳者が決められることではありません。それを読者に決めていただくためにも、この言葉でよかったのではないかと思っています。








「自訳自解」とは
分が詠んだ俳分で釈する「自句自解」になぞらえた言葉で、俳人でもある翻訳家・金成希氏による造語。翻訳家が分の書・文・語について分で説する、の意。