第7回
上原裕美子さん/久保尚子さん(後編)
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| 翻訳者の上原裕美子さん(右)と久保尚子さん(左)。中央が、この翻訳談話室の主、佐藤千賀子です。ゲストに女性2人をお迎えするのは初めて。いかにも華があります。 |

佐藤: 出版のゴーサインが出たとき、上原さんが久保さんに翻訳協力をお願いしたのは、どういうお考えでのことだったんですか?
上原:時間的には余裕があったのですが、本書はちょっと著者の声が強い本なので、アクの強い文章に引きずられず、こちらへ引き寄せるために、もう1組、目がほしい――理系の目がほしいと思ったんです。本当に優秀な人との共同作業であれば、いい相乗効果が出るのではないかと、以前から思うことがあったんですね。久保さんは理系出身で、チェックの目を持っているし、どんな文章を書く人かも知っていたので、彼女ならこの本にぴったり来るだろうと。
久保:この本の存在を知らされる前、上原さんから何かこう意味深なメールが来ていたんですよ。「ひょっとしたら何かあるかも」みたいな、変な匂わせ方をするんですよねえ。
上原:うまいこと頼めたからよかったのですが、彼女が空いていなければ、あえて他の人を探そうとは思わなかったです。
久保:ありがたいお言葉です。実際に頼まれたときには、メールで「単に『下訳やって』とか、そういうことじゃないから」と言われて、緊張もしましたが、嬉しかったです。
上原:私の仕事を切り分けて手伝ってもらうのではなく、もっとコミットする形で参加してもらうほうが、この本は良くなると思ったんです。
佐藤:でも、翻訳の共同作業は、よほど信頼関係がないと、どこまで踏み込んでいいものか悩ましいところですよね。
久保:ただ、上原さんとは同じ師匠(談話室第4回のゲスト、夏目大さん)の勉強会でご一緒していまして、私は一番下っ端なのですが、「自分の訳は棚に上げて、どんどん発言するように」と上原さんが引っ張ってくれるので、思ったことを言う練習ができていたんですね。的外れなことでもぶつけると、「それは違う」と理由つきで説明してくれる方なので、ここは思い切って胸をお借りしようと。
上原:単に翻訳の分担をすることは、実はそれほど重要ではなくて、1章ずつ訳してきたものを1冊の本にまとめ上げていく過程のほうが大事なんです。その作業を一緒にできる相手というのは、貴重な存在なんですね。指摘し合って、直し合える――それができれば共同作業には意味があると思います。そうでなければ、それこそ1人でやったほうがいい場合が多いです。久保さんは食いついてきてくれるとわかっていたし、逆に一筋縄では行かない人なので、やりやすいって言うか……まあ、やりやすくはないか(笑)。
久保:ごめんなさい(笑)。でも、最初の原稿を出した頃は、最終的に上原さんがまとめるのだから「直しやすい訳文にしよう」という意識が働いていたんですね。ところが「そうではなく、もっと自由に」と言われて、そこから本当に胸をお借りする感じで「ここまではいいですか?」「これは駄目ですか?」と冒険できるようになりました。確かにその前と後とでは、全然コミット度合いが違います。
上原:1冊全部読んでくれているから、細かい部分について「どっちの表現がいいと思う?」という相談もすごく気楽にできるわけですね。本が仕上がるまでには当然、佐藤さんや出版社の方の目も入るわけですけれど、自分のサイドにもう1組目があるのは、とても心強かったです。
佐藤:でも、そういう考え方ができる上原さんが「エライな」と思うんですよ。翻訳のお手伝いをする人にも自分の考えやバックグラウンドがあるんですもの。それを発揮できるように、ふさわしい人を選んで仕事を託していこうという姿勢だから、一緒に作業する人もやりやすいのだと思います。
久保:本当に。直接お話してくれることだけでなく、上原さんが訳した文面から伝わってくる教えがたくさんあったんです。英語から日本語にしたときの段落分けなども、意思を持って順番を組み替えていることがわかるし、編集の視線を持って翻訳するということにハッとさせられました。今回、原稿が訳者の手を離れた後どうやって本になっていくかまで見せていただいたので、本屋さんで本を見るときの視点が変わったように思います。勉強し始めた頃のように「文章」だけ見るのではなく、「本」として見るようになりました。
上原:共同作業をして面白かったのは、私1人で訳したのとはおそらく違う文章になったことですね。たとえば、久保さんが訳した部分で割愛した表現を私の訳文のほうに復活させるとか、単なる寄せ集めではない――1足す1が2ではない1冊になったと思います。どの章を誰が訳したのか、きっと読者にはわからない仕上がりになっているはずです。
久保:これはもちろん私の訳文ではないですし、上原さんのいつもの訳文ともまたちょっと違うし、著者が書いたままでもない。だいぶニュートラルな文章に落ち着いたと思います。
上原:いろいろな相乗効果で、この著者のちょっと押しが強すぎる感じが、いい意味で消えましたね。
久保:「こういう文章は、このまま訳すとちょっとくどいよねえ」とか、よくメールで話しましたよね。
佐藤:著者はヨーグルトを作ってきた方で、文章のプロではないのでね。
上原:その個性を完全に消すわけではなく、でも読んでいて鼻につくことがないように、いい感じの離れ具合になったかなと。
佐藤:そういう意味でも、翻訳を勉強している方には、原書と訳書を読み比べていただきたいぐらいだと思います。
対談を終えて:
訳している間は3〜4か月どっぷりその本のことばかり考えることになるので、それが苦でない本と出合いたいという上原さん。「これ」という分野に限定せず、いい意味で広く浅く、何でもカバーできる知識とキャパシティを身につけていきたいとのこと。大学院で分子生物学を専攻していた久保さんはサイエンス系分野を中心軸に息の長い翻訳者を目指しています。画期的な共同作業の成功でそれぞれ自信をつけた2人。次の訳書では、どんな飛躍を見せてくれるか、楽しみです。